企業の出口戦略とも言われるM&AやIPO。両者を進めるうえで必ず行われるのがデューデリジェンスです。
とくに近年のM&AやIPOでは、労務に関するデューデリジェンスの重要性が増している傾向にあります。
最近の労働問題のリスクの高まりから、人事制度や就業規則が適切に運用されているか、また未払残業手当などの問題や債務がないか、詳細に調査するニーズが増えているのです。
今回は、労務デューデリジェンス(労務DD)について、詳しく解説していきます。
社会保険労務士法人とうかい
社会保険労務士 小栗多喜子
これまで給与計算の部門でマネージャー職を担当。チームメンバーとともに常時顧問先350社以上の業務支援を行ってきた。加えて、chatworkやzoomを介し、労務のお悩み解決を迅速・きめ細やかにフォローアップ。
現在はその経験をいかして、社会保険労務士法人とうかいグループの採用・人材教育など、組織の成長に向けた人づくりを専任で担当。そのほかメディア、外部・内部のセミナー等で、スポットワーカーや社会保険の適用拡大など変わる人事労務の情報について広く発信している。
主な出演メディア
・NHK「あさイチ」
・中日新聞
・船井総研のYouTubeチャンネル「Funai online」
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労務デューデリジェンス(労務DD)とは、人事労務領域においておこなわれるデューデリジェンスのことです。
一般的にデューデリジェンスとは、M&AやIPO、事業承継などといった際に、企業の監査として行われます。
その種類はいくつかあり、主に「財務」「税務」「法務」「ビジネス」「労務」となります。以前は、デューデリジェンスといえば、「財務」「税務」などの財務状況を正しく把握するために行われるものや、「法務」では法令が正しく順守されているかを検証するものが一般的でした。
しかし、最近では長時間労働による過重労働、またサービス残業による残業手当の未払問題、労使トラブルなど、従業員の人事労務に関する問題が、M&AやIPOなどに、大きな影響を及ぼすものとして着目されるようになりました。
労務デューデリジェンスが着目されるのはなぜでしょうか。例えば、M&Aを例にとってみると、どのようなことが考えられるでしょうか。
よくあるケースとして、企業の買収後に、未払い残業代などが判明した場合です。未払い残業代問題は長期に渡っていることも多く、過去に遡って未払残業代を支払わなければなりません。これは、買収を行った企業がその債務を負うのです。「会社を買収した後に知らなかった」では、通りません。場合によっては、会社の財務に大きなインパクトを与えるだけでなく、労使トラブルに発展することにもなれば、それに対応する多大な会社の人的対応コストも発生するはずです。
また、長時間労働による過重労働や労働災害のリスクなどを見逃した結果、その補償が経営を圧迫する要因ともなりかねます。とくに中小企業においては、事業継続が困難となる事態も招きかねません。
さらに、労務に関する問題は財務インパクトだけに留まりません。
企業の買収後に人材をどのように扱っていくかを判断するにあたって、現在の人材がどの程度のスキルやレベルなのか、その処遇はどのように評価されていたのかなどを正しく理解していないと、買収後に人材を活用できません。買収後の人事労務のグランドデザインをイメージするためにも、現状の詳細な理解が必要なのです。これを怠ると、買収後に人材をうまく活用できないばかりか、従業員の不満の火種となって、新たな労使トラブルに発展する可能性もあるのです。
そこで、労務デューデリジェンスの必要性が高まっているのです。
人に関わる定性的な項目の洗い出しを“人事デューデリジェンス”、定量的な項目の洗い出しを“労務デューデリジェンス”と表現している場合もあります。
企業コンプライアンスや最近話題にのぼることの多い労働問題のリスクの影響度を鑑みて、労務デューデリジェンスのニーズが高まりつつあります。この労務デューデリジェンスは、どのようなタイミングで行うのかみていきましょう。
IPO(株式上場)申請においては、主幹事証券会社や証券取引所により、「上場企業として適切な経営体制が整っているか」の審査が行われます。とくに人事労務分野は、昨今の働き方改革関連法の施行に伴い、審査には厳しい目が向けられます。就業規則や給与規程などの諸規程が労働関係法令に違反していないかの順守状況や、運用に問題がないかなどについて、調査されていくことになります。労使トラブルや訴訟、行政処分の有無は、審査に影響を及ぼし、上場申請が通りません。
とくにIPOでよく問題になるものとして、未払い残業問題があげられます。その他にも、過重労働やハラスメントに関する問題なども重視されます。
IPOを目指す企業においては、業績や財務・資産状況などに問題がなくても、これらの人事労務領域に問題がある場合には、株式公開ができなかったり、延期せざるを得ないということにも陥ります。前述の未払い残業に関する法令違反は、消滅時効が2年です。少なくとも、IPOを行う際の過去2年内に未払い残業問題がないかなど、事前に労務デューデリジェンスを行い、労務管理を徹底しておく必要があるでしょう。※2020年4月以降の債権からは消滅時効3年
新規事業や市場への参入、グループ再編、事業承継をはじめ、M&Aを行う企業も増えました。効率よく経営資源を入手するといった成長戦略の一つの手法になっており、企業価値を高めることを目的にしています。それにはM&A実行後に、企業価値が下がる可能性のあるリスクがどのくらい潜んでいるのかを、正確に調査する必要があるのです。前述のIPO時同様、労働関係法令に違反していないかの順守状況や、人事制度や就業規則の内容やその運用実態や、給与の支払いや社会保険の加入状況が適切かどうかなど調査されます。さらに、組織風土や社内のローカルルール、福利厚生制度の実施状況、採用ポリシーや活動状況、従業員の性別・年齢構成、離職率や離職事由、休職者の状況などの調査も必要でしょう。また、過去の懲戒処分やその経緯や理由に至るまで丁寧に確認を行っていきます。
もしも労務管理がずさんな企業などを買収した場合の影響は計り知れません。M&A前に行われる労務デューデリジェンスでは、会計帳簿にはあらわれていない簿外債務がないか、トラブルなどの発生によって可能性のある偶発債務を洗い出していきます。労働関係に起因する隠れ債務を明らかにする重要な作業です。
売り手企業に潜む隠れ債務、法令違反等のリスクを洗い出すことで、買い取り価格に反映していくのです。
IPOやM&Aの例にもあるように、企業の人に関わる労働環境への注目度は、年々増しています。法令遵守は当たり前ですが、柔軟な働き方の推進、ワークライフマネジメントなど、人に関わる労働環境整備を高いレベルで兼ね備えている企業が求められています。しかしながら、労務に関しては法定監査というものがないため、自社の状況がきちんと法令順守されているのか、一体どの程度のレベルであるのか、把握できていない企業もあるのではないでしょうか。定期的に自主点検を行っているという企業は少ないでしょう。
そこで行うのが定期的な労務デューデリジェンスです。通常は外部の専門家の視点で、法令遵守の労務管理が行われているかの確認を行います。
コンプライアンス上の問題点や潜在的リスクを明らかにする労務デューデリジェンス。企業の置かれた状況によって、項目は異なってきますが、一般的にどのような項目をチェックしていくのか、主なものをみていきます。
項目 | 内容 |
---|---|
企業風土等 | ・経営理念 ・社風 ・組織体制/権限 |
雇用 | ・労働契約の整備 ・雇用形態(正社員、契約社員、パートアルバイト等)の基準 ・出向要件、取り扱い ・労働名簿等の整備 ・定年、高齢者雇用、障害者雇用等の状況 ・最低賃金 |
就業規則等の整備状況 | ・雇用形態ごとの規則類の整備状況 ・周知方法 ・労働者代表の選出方法 |
労使協定・労働協約の締結 | ・36協定など労使協定(労働組合がある場合は労働協約) ・労使協定、労働協約の順守状況 |
労働保険・社会保険の適用 | ・労働保険、社会保険の適用状況 ・算定方法の正確性 |
労働時間 | ・労動時間制度の実施状況(変形労働時間制や裁量労働時間制など) ・時間外労働の実態(勤怠システムの運用、サービス残業の有無など労基法に照らして適切に処理されているか) ・振替休日や代休の実施状況 |
休暇制度 | ・年次有給休暇の取得状況、その他休暇の取得状況 ・産休、育児・介護休業制度の整備、実施状況 |
管理監督者の区分 | 管理監督者の区分の適性(名ばかり管理職など) |
人事制度・賃金制度・退職金制度 | ・人事制度の内容と実施状況、評価基準 ・人事考課の実施状況など ・賃金計算の整備状況 ・人事考課と賃金との関連 ・賃金水準(最低賃金、同業種同職種などの賃金水準との妥当性など) ・退職金制度の実施状況 ・退職給付債務の洗い出し |
懲戒 | ・懲戒処分の実施状況 |
解雇 | ・解雇処分の実施状況 |
休職 | ・休職状況 ・休職から復職プロセスの実施状況 |
教育訓練 | ・教育訓練制度の運営状況 ・資格保有状況(資格が必要な業務などの保有状況や教育訓練の実施状況) |
ハラスメント | ・セクハラ、パワハラなどの問題発生有無 ・ハラスメント教育の実施状況 ・苦情処理 |
安全衛生管理 | ・安全衛生管理者等の選任状況 ・産業医の選任状況 ・安全衛生委員会等の実施状況 ・労働災害の発生状況 ・安全衛生教育の実施状況 ・健康診断や健康管理に関する運営状況 |
個別の労使関係状況 | ・労使トラブルや労働紛争の発生状況や対応履歴 |
労務デューデリジェンスの進め方は、企業の置かれている状況、IPOを行うのか、M&Aを行うのかによっても、多少違いはありますが、概ね、以下のステップで行われていきます。
実際に労務デューデリジェンスを行うにはどうしたらいいのでしょうか。人事労務領域は、関連法令も多岐にわたり専門的な知識が求められます。社内で行うには現実的でないのと同時に、外部の視点で客観的に検証・精査されることが望ましいでしょう。会計のデューデリジェンスは主に公認会計士や税理士など、法務のデューデリジェンスは主に弁護士などが担います。そこで労務のデューデリジェンスは、主に社会保険労務士が担うことになるのです。法務を担う弁護士が労務デューデリジェンスを担うこともあります。デューデリジェンスを一括で請け負うコンサルタントもあります。
企業がM&AやIPOを推進していくには、様々な業務を同時並行で実施しなければなりません。M&Aのディールの最中には、さまざまなことを短期間で決断していく必要もあります
しかしながら、とくに人事・労務に関する項目は、実態把握に非常に手間がかかります。
それでは、労務デューデリジェンスはどこに依頼すればよいのでしょうか?
より労働関係の事例や知識、経験に長けた社会保険労務士の依頼がもっとも安心できる選択と思われます。
M&AやIPOなどは会社にとって一大イベントであり、絶対に失敗はできません。専門家の知識と経験を活用しながら、成功に結び付けたいものです。
労務デューデリジェンスの費用の相場は、その目的や内容によって、個別に異なってくるので、一律ではありません。依頼先による、というのが正直なところです。とはいえ、知識や経験に見合った費用ということで設定されていることが多いでしょう。一般的には、40万〜60万円程度とされていますが、クライアント企業と社会保険労務士または弁護士などとの協議により、担当領域や業務量により決定されます。
労務デューデリジェンスは、IPOやM&Aに限らず、定期的な労務監査の意味合いで行うケースもあります。そうした場合には、単に労務デューデリジェンスを行うだけでは、意味がありません。労務デューデリジェンスを行った結果、問題点の解決や改善を行ってこそ、労務デューデリジェンスが効果的に作用するのです。労働基準法をはじめ労働に関連した法令がめまぐるしく改定されていくなか、法令に準拠した規定やしくみ、それを適切に運用していくことが求められます。それには、日頃の規程整備や運用マネジメントアドバイスなどをおこなえる労務のアウトソーシング とあわせて検討をすすめることをおすすめします。
企業の持続性を高めるにあたって不要なリスクを軽減していくためのサポーターとなるでしょう。
企業の合併や株式取得などによるM&AやIPOといった株式上場を成功させるためには、労務デューデリジェンスで自社の状況を客観的な視点で正確に把握し、コスト、リスク、潜在的な債務を洗い出すことが必須です。
またM&Aでもっとも問題となるのが「人」の部分です。2つの企業が一つになるのです。ルールのすり合わせは非常に重要な意味をもつことになります。私たち社会保険労務士は雇用の専門家として、支援いたします。また、社会保険労務士でも労務デューデリジェンスを行うことができるのは経験のある一部のみです。弊社は労務デューデリジェンスの経験も豊富ですのでご安心ください。
お客様のコンプライアンスを守り、良好な労使関係構築のために何が必要かアドバイスを行い、解決方法をお客様と一緒に探っていきます。上場審査や、M&Aなどの企業の労務リスク調査が必要な会社はもちろんのこと、日頃の労務環境整備においてお困りのことがございましたら、一度ご相談ください。